戻りつつある街と戻れない医療現場

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先日、再び紹介状を持ち、眼科を受診した。

その前に診てもらった病院に空きが無く、この病院で手術を受ける事になった。

 

↓経緯はこちら。

ar50mama.com

 

ところで

初めて行くその病院の感染対策が凄かった。

医師、看護師、検査技師、皆、防護眼鏡をかけている。

ロビーのカウンター内の事務員も制服の上にビニールのエプロンを付けている。

そして、患者がソファから立ち去る度に、誰かが座面をアルコールで拭きにくる。

 

入り口での検温・手指のアルコール消毒、医療者が使い捨て手袋等は、どこの病院でも見てきたけれど。

 

これ、いつからなのだろう。

デルタ株が猛威をふるった第5派から?それとも大阪が医療崩壊した第4派から?

もしかして、この病院で新型コロナの患者さんが出たとニュースになった時から?それ1年前になるけど…

職場でこんな毎日を送っていたら、私生活にも影響が出そう。

 

それにしても

街は普段の賑わいが戻りつつある。GoToも始まろうとしているのに。

病院はずっとこれがが続くのだね。

 

話を戻す。

再び念入りに検査してもらうも診断結果は同じで、右目、網膜前膜だった。(左目の視力は前回よりずっと良かった。やっぱりね)

 

手術日は12月の始めとなった。11月の半ばにインフルエンザの予防接種の予約をとっている話をすると、それで発熱した場合ややこしくなると、先に延ばされた。うーむ慎重

 

あと、手術の後遺症に白内障があり、私くらいの年代からは同時手術するらしい。

(白内障の手術って、うちの母がこの間したとこなんすけど、、)

 

先生「可能性は低いけど網膜剥離があったらその処置もやってしまいます」

私「え…それ手術してみないと判らないんですか」

先生「はい」

 

網膜剥離の手術後は、特殊な枕を使いうつぶせで眠るらしい。それだけでなく歩く時は下を向く、座る時も下を向く…をしばらく続けなくてはならない…と後で看護師さんに聞く。

私「…それしたくないから処置していらんわ」

娘「網膜剥離放置したら失明やで」

 

てな事で、12月の始め頃に3日間入院する事になった。

 

がん治療で色々経験しているので、麻酔さえしてくれれば目に棒をぶっ刺されるのは気にならないが(今のところ)

入院2日前と入院初日(手術日)にするPCR検査が憂鬱である。

それにしても慎重すぎるぜこの病院

ーーー

投票行ってきました。

 

比例代表、れいわに入れました。

初めてれいわに入れました。

 

山本太郎的な人は絶対必要だと思ったから。

news.yahoo.co.jp

今は若くて健康だったり、お金のある人にはわかんないかもしれないけれど。

 

photo : iPhone7 2021年10月某日 投票所だった小学校の立派な錦鯉

 

私のこと

投票も家族の影響って否めないよねって話

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明日は投票日という事もあり、昨日より声高に、色々な政党、候補者の選挙カーから「最期のお願い」が聞こえてくる。

大通りに面したボロマンションに住んでいると「うるさいな」と思う事も多いが、始めは騒音だったそれが熱意を持って話す人間の声になり、やがて言葉として頭に入って来る事もある。

お昼寝の赤ちゃんや、夜勤明けで就寝中の住民には気の毒だが、やっぱり必要なんだよなと思った土曜日の午後でした。

 

娘がうまれて初めての選挙は彼女が1才半の時で、夫婦交代で娘を抱き投票した事を何故かはっきりと覚えている。

 

私は結婚するまで、家族と投票に行った事がない。

 

それでも20才になり、選挙毎に投票所へちゃんと行っていたのは、滅多に帰って来ない「優しいサヨク」だった父への思慕と母親への反発からだったように思う。

 

(父が東京の大学に居られなくなり故郷に帰ってきた理由を、母からは『学生運動のせい』と聞き、祖母からは『ヤ●ザの恋人をかくまって東京に居られなくなった』と聞いている。島田雅彦氏のあの本は読んでないけどタイトル借りました)

 

当たり前だが、いい歳になってからはちゃんと自分の頭で考えて投票してますので安心して下さい(誰に?

 

そういう事もあり、私は

1. 娘には投票に行く姿を見せ続ける

2. ただし思想や支持政党を押し付けないようにする

という事にこだわり、元夫とも約束していた。

 

2はとても難しいのは判っている。

私としては、元夫はある国の悪口をよく口にする人だったので、それを封じる為でもあった。

私は子ども時代、親の受け売りで「○○人は嫌い」と言うクラスメイトを見てきたので、娘には先入観を与えたくなかった。

 

色々ありつつ、娘も成人して久しい。

それなりに自分の頭で考える事の出来る人になったと思う。

私の影響?…はあるだろう。

しかし、そういうのは社会経験を積めば、徐々に薄れていくものだと思う。

ルーツにはなるんだろうけど。

 

ーーー

一昨日はたぶんこのブログ史上、最も多いアクセス数だったと思います。Twitterで引用RTして下さったわっとさん(id:watto)、ありがとうございました。

 

改めて読み直してみたところ

私には珍しく1000文字を越えているせいで、途中で呼吸困難で失速しながらリタイア寸前で倒れながらゴール…みたいな文章で恥ずかしい…

とはいえ、自分の今の限界も知れたのでよしとしよう。

 

photo : iPhone7 2021年9月某日 バッグからスマホを出そうとして誤写したらしい。私の足先とペチャンコの吸い殻が…

 

私のこと

 

メンクリで知る。はてなブログの恩恵

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前の主治医からの紹介状を持って、新しくお世話になるクリニックへ行ってきた。

初診なので紹介状があるとはいえ、問診票を書かねばならず「10分前に来てください」と言われていた。

 

私は昔から時間通りに目的地に着くというのが苦手でよく遅刻していたが、いい大人になってからは早めに家を出るようにしており、30分前に到着する。

このご時世、予約時間より早めに来るのを控えてくれるようお願いしている医療機関もあり申し訳なかった。

しかし、裏表ありの3枚の問診票を書ききるのが大変で…結局30分かかりました…

 

それを書いている最中に背中をポンポンと叩かれ振り向いたら、娘。学校帰りに駆けつけてくれたのだ。

元夫は一度も病院に付き添ってくれた事がなく、ゆえに双極性障害の発見が遅れた事もあり、それを知る娘は「家族が様子を話す事が必要」と、時折、診察室へ一緒に入ってくれる。

新しいクリニックの初診という事もあり「付き添う」と前日に行っていたっけ。

 

名前を呼ばれて診察室へ入る。

新しい先生はインテリアに調和したオシャレなファッション、シュッとしたアラフォー…おっと。真面目で優しそう…という印象。

 

そして、やはりというか、↓の記事で嘆いていたように、親の事、子ども時代の事から話さねばならなかった。

 

ar50mama.com

 

それより先生が「辛い事を思い出さて申し訳ないけど…」と、最も聞き辛そうだったのは、がんの自覚症状から告知までを聞いてきた時だった。

私は自分の顔の前で手を振り「いえいえ、それは全然大丈夫です」と笑いながら言った。これは本心から出た言葉だ。(良い悪いは別として)

 

(あとはほぼ省略して書く。話の流れで聞かれた事)母や弟との今の関係、うつの引き金になった元夫の行動等。

娘と相談して決めた「薬の変更」をお願いし、臨床心理士さんによる「カウンセリング」の予約をし、母娘で「今後ともよろしくお願いします」と言い、診察室を出た。

ーーー

そしてだが、以下の事が書きたくて今回はこのブログを書いた。

 

まず、問診票を書いている時に、以前よりすらすらと書けるようになっていた事に驚いた。言葉が素直に頭から出てくるというか。

(とはいえ、凄い人が10で普通の人が7だとしたら、私は2からやっと4へ上がった感じか?)

これはブログを書いている以外で原因は見当たらず、ちょっと感動してしまった。

あと文章の上手なブロガーさん達の記事を読んでいるからだろう。

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それから、診察室で母との電話でのやりとりを、のらりくらり話している時に、娘が早口で

「祖母(母)は母にかなり無神経で酷い事を言っています。それで母が調子を崩してしまうのを何度も見ています」と我慢たまらずいう感じでフォローしてくれた事。

病院を出た後も

娘「パパとのエピソードも生ぬるいと思ったで。もっと酷い事したやろパパは。ママはいちいち『私も悪いところがあったと思う』という感じで話しているけど、そんなん思わんでいい。自分がどうされてどう思ったか言うたらええねんで」と言われた。

私「ママは自己肯定感がめちゃめちゃ低いからな。無理そう」

娘「そやな。悪口言えへんもんな」

 

このブログをいくつか読んで下さっている方は「えっ。悪口書いてるやん」と思われたかもしれない。

コロナが不安で始めたブログだけれど、なんとなくここでは許されるかぎり正直に書こうと思った。実際の私は卑屈な人間だ。だからあえて強い言葉遣いで書いている。

正直に書く事は娘にも了承を得ている。娘が幼い時や中高の時は自分がメンタルクリニックへ通っている事で、彼女に不利益が生じるのではないかと怖かった。

しかし大人になった娘は私に

「ママは自分を恥じる事ないで。私はママの障害のこと誰に知られても平気やで」と言ってくれる。

娘が胸を張ってそう言うのは、大学内外で色々学び経験した事が関係あるかもしれない。娘がお世話になった全て方々に感謝している。

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それから、薬の変更だが、とある人気のはてなブロガーさんが以前、この新薬の服用をはじめた事を記事で書いておられ、その頃から私は関心を持っていた。

それから、ちらほら同病の方がこの薬に変えられている事を耳にし、私も転院の今のタイミングでこの薬を試してみようと思った。(今の薬は軽うつ安定のはずなのだが、最近はうつの波がゆらゆらしていてドッと落ちる事がある)

アカシジアの副作用が出ない事を祈るのみ。

 

photo : EOS kiss X9 2019年6月某日 飾らないレトロ調の手作りスイーツのお店。また行きたい

 

私のこと

ある元家族のはなし

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今でもたまに元夫が家族の一員として夢に出てくる事がある。

夢の中の元夫は大概、不機嫌な顔でテレビの前でゴロゴロしており、離婚前そのままの感じなので、寝覚めは最悪である。

 

15年の結婚生活の後、離婚しても娘をはさんで、たまに食事をしたり車で出かけたりしていたから、脳の無意識の層には元夫が“家族”というカテゴリーに未だ含まれたままなのかもしれない。

 

離婚後も3人で出かけたりしていたのは娘の為だったのだが、大人になった娘から

「離婚してもパパとママが会うのが不思議だった」「2人に気を使って疲れた」

と聞かされてショックだった。

子の心、親知らず。

 

娘と元夫は2人だけでもたまに食事に出かけていた。

あの頃、友人からは

「別れた旦那と子どもを自由に会わせるの偉いなあ」

と言われた。

それが珍しい事なのかどうか判らないけど、私には娘を連れて家を出て、彼を独りぼっちにしたという罪悪感があった。

 

養育費の入金はひと月も途切れた事がない。

しかし「俺の周りの男は皆、養育費払ってへんで」と、どや顔で言われて「それはその人らがおかしい!」と返すというやりとりはお約束だった。

 

そんな元夫が再婚した。

 

娘は「パパひとりにしとくの心配やったからよかったわ」と言っている。本心だろう。

私も老後の面倒を見てくれる人が出来たとホッとしている。(娘に負担がかからぬよう…

 

とりあえずもう、もう夢に出やんといてくれー

 

photo : iPhone7 2021年10月某日 病院にて。入院前検査等で滞在時間5時間…

 

私のこと

最後の気付き

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凄く眠たくて…寝落ちしそうな夜、スマホを枕元に置く寸前にモニターをチラリ見たら、うつが関係するマンガが映っていて気になってしまった。

可愛い絵柄でTwitterで閲覧出来る(ただ)という事もあり、軽い気持ちで読み始めたら、色んな意味で眠れなくなった。

しばらくして娘に「まだ起きてるの?」とふすま越しに言われたので「スマホのマンガにアドラー出てきてなぁ」というと「そんなん読んだらあかん」と不快そう。

アドラーはトラウマの存在を否定している。だからだろう。

案の定、いい歳をして過去の事をブログにつらつらと書いている自分が恥ずかしくなったところだった。

 

しかし過去の事をまた一から(自分のブログで吐くのではなく)話さなければいけない時が近々来る。

精神科を転院する事になったから。

円満退社という言葉があるが、今回は円満転院という事になる。

(患者の立場で言うと医療側が言うドクターショッピングが起きてしまうのは致し方ないと思っている)

引っ越しで遠方になってしまったが、がんの告知を受けた後もちゃんと通えていた。新型コロナ禍に入る前は。

先生もクリニックも、私の身体を気遣ってくれ、色々な我がままを許して頂いていた。しかし、いつまでも甘えていられない。

そして私自身、もっとこまめに通う事の出来る、カウンセリングもして頂ける、近所の「かかりつけの精神科」が必要だと思った。

 

先日、娘に事務的な事でクリニックへ行ってもらった時、看護師さんに

「お母さんとは長いお付き合いだったけど、あなたの事ばかり心配していた。立派なお医者さんになってね」と言われたらしい。

帰ってきた娘が「そういえば先生も『あなたが元気ならお母さんも安心する』って言うてたな」と言った。

お世話になった約10年間を思い返しジーンとする一方で

これはまずいんじゃないか…と思った。

確かに私は診察室に入ると娘の事(彼女の様子や喧嘩した事等)から話す事が多く、先生に「で、あなた自身はどうなん」と制される事が多々あった。

それらは、私の自尊心の低さから「医療者は目の前の私ではなく、こんな私と暮らす未来ある若者の方を憂慮しているのだろう」という思い込みからそうなってしまっていたのだという事に気づく。

娘は娘でヤングケアラーとして一人で診察室へ入りフォローして頂いていたというのに。

自分は重たい親なんだなと改めて自覚した。

はからずもこれが先生のかかりつけ患者としての最後の気付きとなった。

 

photo : iPhone7 2021年10月某日 ピスタチオ好きの私に娘が買ってきたアイス

 

私のこと

病院は第6波に備えている

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昨日は、がんの主治医に書いてもらった紹介状を持ち、手術をした病院内の眼科へ行ってきた。

 

8月半ばのある日、薬局でお薬を待っている間、壁に貼ってある「加齢黄斑変性」(嫌なネーミング!)チェックシートで何気なく両目を交互にチェックした。

…右目が歪んで見える…

 

※こちらにチェックシートありました↓

jp.rohto.com

自覚症状はあった。「また老眼が進んだ?」と軽く考えていた。(いやそれでも放置はアカン)

その頃はワクチン2回目を済ませたものの、デルタ株による第5派で日に日に感染者数が増えているタイミングだったと思う。

そして、感染者数が落ち着いてきたところで、主治医に相談したら、以前書いたように、別の検査をしなければならなくなった。

ar50mama.com

そして昨日、ようやく目の検査にたどりついたわけだ。

3年ぐらい前にリーディンググラスが必要になるも、眼鏡屋さんで度数を測ってもらい買っていた。

眼科にお世話になったのは結膜炎の時だけだ。あとは娘の付き添い。

 

初めて入念に検査してもらい、判った疾患名は「加齢黄斑変性」ではなく「黄斑前膜」という名前だった。

www.47news.jp

上リンクのタイトルにあるように進行が遅いらしく、手術をするかどうか考える時間はあるものの、私はある事が気になりその場で手術する事を決めてしまった。

それは、健康なはずの左目がかなりの近視、しかも乱視と言われたからだ。

ショックだった。視力がいい事だけが取り得だったのに…(ではなく)

今でも検査ミスではないかと少し疑っている。

右目のせいで、左目を酷使してしまっていたのかもしれない。

あと、「あいにく今、手術の予定が詰まっていて空きが無く、他の病院で手術してもらう事になる」と言われた事。病院も(そして患者も)第6波が来るのを想定している。

幸い、手術先となる病院はうちの近所で評判のいいところだった。

「そこも手術の予定が詰まっていて、たまたま空きが出て「では2日後」となるかもしれないし数ヶ月先になるかもしれない…第6波までに間に合えばいいけど」と先生。

 

家に帰る途中に、手術費用の事を全く考えていなかった事にハッと気づく。

今のところ、こつこつと貯めたお金で何とか払えそうだが、元々、がん治療で何かあった時の為の入院費や娘の大学生活でまとまったお金が必要な時の為に蓄えているので、10年いや5年で必要なくなるかもしれない自分の目に使うのは惜しい気がした。

ただ私は知っているのだ。

今は亡き先輩方がその日が訪れるまでSNSで発信していり、本を読んでいた事を。

目は大事にしておいた方がいいのかもしれない。

 

photo : iPhone7 2021年9月某日 お散歩中にて

 

私のこと

母、動く

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先日、久しぶりに母から電話があった。

 

「体調はどう?」

「天気はどう?」と同じようなトーンでそれを言い、母はすぐに本題に入った。

「最近、色々と動き辛くなったので施設に入ろうと思う」

これはまた…という感じだった。

 

前回の電話でのメインテーマは、壊れた自転車を直してくれたご近所さんへのお礼を買いに地下鉄に乗ってデパ地下へ行った話、だった。

元々、私よりずっとアクティブな人だ。

 

またかまってちゃんかな…と思うも、弟にもその話をしたと聞いて、本気なんだと驚いた。

すぐさま弟が県境を越えて来て「年金額や貯金額等は?」「どのあたりの施設がいい?」と聞いたという。

…弟、もしかしてこれ↓読んだの?

toyokeizai.net

冗談はさておき。

 

母は弟の妻と娘に嫌われていて、同居できずに一人暮らしをしている。

 

結婚前から弟夫婦は「早いうちに母と同居する」と言っていた。

しかし、数年前に弟から「オカンをそちらの近所に住まわせて欲しい。経済的な事は俺がちゃんとするから」と相談があった。

 

母は母で、親戚らから「男の子は結婚したらおわり。やっぱり娘やで。○○ちゃん(私)と仲良くしぃ」と言われたと私と会いたがるようになった。(正直)

 

私は、親の老後の為に一銭も出せない罪悪感と義妹への同情で仕方なく承諾した。

 

母は過去の事で私に恨まれていると自覚しているので「あの時はこうだった」「もう一度あの時の話をして」などと、昔の私の記憶を自分の都合の良いものに上書きしようとしてくる事があり、私にはそれがキツかった。

あと、ふとした時に母に触られるとぞわっとする。子どもの時、手を繋ごうとすると「気持ち悪い!」と手をはらわれた事を嫌でも思い出す。

 

弟は弟で、母のところへはボーナス時期に妻子を連れずにやってきて、10万円を置いていくだけだそうだ。(弟は大企業の中間管理職)

 

生まれて初めてケアハウス等をネットで検索する。

これからの世の中、こういう施設に入ってしまえば面会も難しかろう。

久しぶりに母の愛を求め続けたはるか遠い昔の感情がぬっと頭をもたげ寂しい気持ちになる。

 

感情はぐちゃぐちゃだ。

 

photo : EOS kiss X9 10月某日 大阪城公園 植木市にて

 

私のこと