凄く眠たくて…寝落ちしそうな夜、スマホを枕元に置く寸前にモニターをチラリ見たら、うつが関係するマンガが映っていて気になってしまった。
可愛い絵柄でTwitterで閲覧出来る(ただ)という事もあり、軽い気持ちで読み始めたら、色んな意味で眠れなくなった。
しばらくして娘に「まだ起きてるの?」とふすま越しに言われたので「スマホのマンガにアドラー出てきてなぁ」というと「そんなん読んだらあかん」と不快そう。
アドラーはトラウマの存在を否定している。だからだろう。
案の定、いい歳をして過去の事をブログにつらつらと書いている自分が恥ずかしくなったところだった。
しかし過去の事をまた一から(自分のブログで吐くのではなく)話さなければいけない時が近々来る。
精神科を転院する事になったから。
円満退社という言葉があるが、今回は円満転院という事になる。
(患者の立場で言うと医療側が言うドクターショッピングが起きてしまうのは致し方ないと思っている)
引っ越しで遠方になってしまったが、がんの告知を受けた後もちゃんと通えていた。新型コロナ禍に入る前は。
先生もクリニックも、私の身体を気遣ってくれ、色々な我がままを許して頂いていた。しかし、いつまでも甘えていられない。
そして私自身、もっとこまめに通う事の出来る、カウンセリングもして頂ける、近所の「かかりつけの精神科」が必要だと思った。
先日、娘に事務的な事でクリニックへ行ってもらった時、看護師さんに
「お母さんとは長いお付き合いだったけど、あなたの事ばかり心配していた。立派なお医者さんになってね」と言われたらしい。
帰ってきた娘が「そういえば先生も『あなたが元気ならお母さんも安心する』って言うてたな」と言った。
お世話になった約10年間を思い返しジーンとする一方で
これはまずいんじゃないか…と思った。
確かに私は診察室に入ると娘の事(彼女の様子や喧嘩した事等)から話す事が多く、先生に「で、あなた自身はどうなん」と制される事が多々あった。
それらは、私の自尊心の低さから「医療者は目の前の私ではなく、こんな私と暮らす未来ある若者の方を憂慮しているのだろう」という思い込みからそうなってしまっていたのだという事に気づく。
娘は娘でヤングケアラーとして一人で診察室へ入りフォローして頂いていたというのに。
自分は重たい親なんだなと改めて自覚した。
はからずもこれが先生のかかりつけ患者としての最後の気付きとなった。
photo : iPhone7 2021年10月某日 ピスタチオ好きの私に娘が買ってきたアイス