私が双極性障害と診断された直後、「どんな病?」と真っ先に手にした本は、加藤忠史先生のこの本。
(ちなみに双極性障害は元々、躁うつ病と呼ばれていたそうで、私は響きが好きなので普段は「躁うつ病」の方をよく使います)
「双極性障害」ってどんな病気? 「躁うつ病」への正しい理解と治療法 (心のお医者さんに聞いてみよう)
病識の無かった私もこれを読んで納得。次回の診察時に先生に「私は何型ですか?」と聞いた。(双極性障害には1型と2型がある)
先生は「うーん、2型」と答えた。その時の私はマックス躁だったので(1型じゃないの?)と意外だった。やがて長く辛いうつの波に翻弄される日々が来るとは夢にも思わなかった頃だ。
診断前は躁状態が長く続いていたにも関わらず、誰も気づく(というか病気だと思わず)事無く、私も「初診のうつは治ったのかな?」と多少の戸惑いを持ちつつ、不安障害の為にクリニックへ通っていた。
その時の主治医のクリニックはとても人気があり、しかも予約制でなく、2時間待って5~10分の診察もあり、の状態だった。
その短い時間内では、まず不安を伝えるので精いっぱいで(お薬が無いと仕事に支障が出るから)、実は私生活では問題を抱えている事を先生に伝えられずにいた。数年間も。
夫婦仲は険悪で、元夫から「お前は病気なんかやない」と言われるは、正義感にかられて怖そうな人でも注意しまくるので「あんた、いつか刺されるからやめとき」と友達に心配されたり、上司と喧嘩したり…(以下自粛。
そんなヤバい状態で…いやヤバい状態であったからやりきれたのが娘の中学受験だ。
躁は経済的に余裕も無い、学も無い私が、娘の中学受験準備に疾走させた。
躁転してたからとはゆえ、愛娘には甘く無理矢理強いる事はせず、この事は今でも感謝されている。
思い出した作品がある。
双極性障害の父親を持つ娘が描いた作品を2つ紹介したい。
引っ越しで紛失してしまった為に引用が出来ないのだが、躁期の父親(北杜夫)を楽しげに描いており、うつで伏せっている時の父の事は一日中布団の中に居てつまらなかったと書いていたような記憶がある。
北杜夫氏の実家は大きな精神科病院で、友人達は本人同様、作家や芸術家ばかり。
正直、こういう楽し気な思い出話になるのも、そういう理解されやすい環境と経済力があってのもの、という印象を受けた。
次は2015年の米映画。女性監督が双極性障害だった父との子供時代を元に撮った作品だ。
(ちなみに双極性障害は英語でBipolar disorderと言うのですが、タイトルのPolar bear(白熊)は劇中、幼い娘が「お父さんはポーラーベアーなんだ」と言い間違えるシーンからきているのだと思います)
双極性障害で仕事が出来ず、投薬もいい加減なので常に躁で破天荒な行動で周りを困惑させる父親。キャリアウーマン(死語)の母親は子ども達に教育を与える為、単身都会で仕事をし、仕送りするという生活を選ぶ。
お茶目な父親を演じるマーク・ラファロの演技が光る良作だけど、やはりここでもうつのシーンの描き方が淡白すぎる。
(冷蔵庫を開けた父だけ微動だにせず、周りを早回しのように子ども達が動き季節が移り変わるシーンでうつを表現)
実際のうつは地獄だ。私のようにシングルマザーになって働けなくなれば更なる地獄が待っている。
斎藤由香さんの思い出もポーラーベアーに出てくる父親も、子ども目線で見た父だ。
そして、紹介した作品がハッピーな雰囲気を漂わせるのは、食うに困る事の無い人達だからからだろうし。
私が躁だった頃は?娘との関係は?
娘は経済的な困窮を意識せず(合格した中高一貫校は地味で質素な生徒が多く助かった)、母親ののやらかしストーリーも大人になって改めて聞かされてやっと「大変な事だ」と理解した。
長い冬(うつ期)がきたのは彼女が高校生になりそろそろ受験準備という頃で、私が布団に突っ伏してもなんとか生活が出来た。
(それからは秋冬を行き来し今に至ります)
全てのタイミングが良かった。
あと、学校の先生とか出会った人、アドバイスくれた人に恵まれた。元夫から養育費等もちゃんともらえていた。
それがなければ今の私と娘の関係も破綻していたかもしれないし、娘はどうなっていたか。
もちろん、娘にとってシャレにならない事もあったのだが…時に私は娘にとり映画のマーク・ラファロのように子供っぽいおもろいオカンだったのかもしれないと思うと救われる。ポジティブすぎるか?
運と周りの支えだけで生きてきた能なしの私は後ろめたさもある。
命尽きるまでどう生きるべきか?私に何ができるのだろう?
アラフィフになってもまだもがいている。今はそんな毎日だ。
photo : EOS kiss X9 2019年12月某日 大阪城公園内、豊国神社にて。接写しやすいもみじの宝庫だった