ある別れについて思うこと

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秋やねぇ

(EOS kiss X9 2022.10)

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先日、ギターを処分した。あっさりと。

私がそのギターを処分しようとする度に元夫や娘は困った顔をして「まあそう言わずに」という空気を出してきて、結局20年近く私の元にあった。

 

幼い頃から家に父のクラシックギターがあった。

私が触っても父は怒らず、むしろそれを望んでいるようだった。

生真面目な人間の多い身内の中で、ひとところに落ち着くのが苦手な父と私は同じく異端だったけれど、父は何をしても許される魅力のある人で、私は何の取り柄の無い子どもだった。(当時は自覚なし)

恐らく父もそれに気がついていたと思う。思い出されるのは苦笑いする父の顔ばかりだ。

 

中学生、高校生になると下手でも“ギターが弾ける女の子”というだけで色んな経験をした。

合唱コンクール、私が居るクラスは必ず伴奏がピアノで無くギターだった。他校の子や大学生とバンド活動の真似事をしたりもした。

 

20年前、私が再びギターを触りたくなったのは、“挫折した”という漠然とした思いをうち消したかったからだろう。父へのコンプレックス。

純粋に「弾きたい」「楽しい」というものではなかった。だからこんなにあっさり邪魔になったら処分する事ができるのだろう。

思えば、縁あって私の元に居たギターには申し訳無い。最後に写真に納めたのはそういう後ろめたさも相まってのこと。